えりおのオンビョンな日常

平凡動画投稿者の不定期更新ブログ

太鼓の達人の思い出1 きっかけと上達

先日生配信で太鼓の達人老人会をしてすっごい楽しかったので、なんとなく太鼓の達人の思い出を色々書こうと思います。

 

今ではほぼやらなくなってしまいましたが思い出たっぷりなので色々語ろうと思います。自分のブログは好きに使おう!

 

前置きは短めにGO!

 

 

 

 

 

1.出会いと始めたきっかけ

 

初めて触ったのは高一の秋の文化祭でした。たぶんアケは太鼓の達人10が稼働してた時期だったと思います。

先輩のクラスが展示で巨大タタコン(アケさながらのサイズ)を自作して試遊できるコーナーをやっていまして。PS2の家庭用(確かCS4)をでかいスクリーンにうつして遊べるようになっていました。すごかった。

 

当時は今みたいにバリバリおに叩けますよって人は本当に少なかったんですよ。

おにどころかむずかしいプレイヤーも少なかった。

その試遊コーナーも同じで、誰もむずかしい以上の難易度には手を出す雰囲気はありませんでした。

 

ところが!!

そのクラスにいた三年生の先輩がふらっと現れると難易度「むずかしい」を選択!

難関な譜面を流れるように処理していく。非常にうまかった。

気がつけば教室の中はたくさんのギャラリーで埋め尽くされており、曲が終わる度に拍手大喝采!!すごい盛り上がりでした。見ていたえりお少年も大いに盛り上がった!!

 

 

そしてそれ以上にすごく羨ましかったのです。

 

 

その時のえりお少年は典型的な陰キャコミュ障男で(それは今もですがもっとやばかった)中学時代から高一にかけてろくな生活を過ごせておらず半ば黒歴史同然の状態でしたが、この出会いと羨望が全てを変えたきっかけとなりました。

俺も目立ちたい、目立ってあんなふうに拍手されたい!!

そんなしょうもないきっかけで、太鼓の達人を遊ぶようになったのです。

 

その日の帰りにゲーセンに寄り、生まれて初めて遊んだ太鼓の達人は非常に面白かった。

その時遊んだ曲は「もってけ!セーラーふく」の「ふつう」でした。

こんなに楽しいゲームがあるのかと、心の底から燃え上がる何かを確かに感じました。

 

その日から時間とお金さえあればゲーセンに足を運ぶようになりました。

ゲーセンに行けない日はニコニコ動画太鼓の達人で検索し、上位プレイヤーのプレイ動画を見て座学をした。暇さえあれば太鼓の達人のことを考えており、生活の中心となっていきました。今のビートマニアみたいだな!!

 

最初はむずかしいを叩くのもおぼつかない腕前でしたが練習を重ねて重ねておに☆6あたりの曲がクリアできるようになりさらにのめり込んでいくこととなるのでした。

 

 

 

2.このゲームの上達とは

 

手出しできる曲が増えてきたものの、やはり学生の少ない資金でゲーセンに通うのは厳しいものがあり、だんだん物足りなくなってきたので家庭用に手を出しました。

DS1とDS2を友達から借りて、家でも遊ぶようになった!

その結果、いよいよ起きてる間で暇な時は常に太鼓の達人をするようになった...

 

始めた当初は知らない曲まみれでしたが家庭用のおかげで挑める曲の幅が広がり、さらに地力をつけていく。

 

 

そして、今後音ゲーを続けていく上で根幹となる考え方が根付くようになったのはこの頃でした。

それは「スコアを狙う」こと。

家庭用を遊ぶようになってからも動画を見ての座学は継続していて、それは座学に留まらず暇な時にもプレイ動画を見るほどの中毒っぷりへ進化したわけなのですが、その時に見ていた動画が、「全良動画」だったんですよ。

 

全良とはいわゆる全ノーツを最高判定で叩くことですね。ゲームによってAPだったりAJだったり呼び方が異なりますがいわゆる理論値みたいなものです。

最初から参考にしていた動画がそういったものだったので、「目指すべき最高地点は全良」というものを、わりと早い段階から意識するようになりました。

僕はビートマニアでもわりかし光らせて鳥狙うとかが好きなスコアラー寄りなほうなのですが、その根っこのところはこの頃の意識によるものだと思います。

 

フルコンするに飽き足らず、可(ビートマニアで言うところの黄グレやGood)を減らすことに喜びを感じるようになりました。

全良はまだまだ出せませんでしたが、どんどん自分のスコアが高くなっていくのを実感するのが本当に楽しくて、スコアを狙うことの楽しさにのめりこんでいきました。

 

その結果太鼓の達人を始めて一年後くらいには、県内で上位に入るスコア力に至りました。当時の県内ランキングの上位常連になる。

高難易度(当時の高難易度はきたさいたま2000やRotter Tarminationなど)はあまり触らずに、優先的に低難易度から中難易度のスコア詰めをしていた気がします。

なんか、あのあたりの高難易度はすごくむずかしくて一部の人にしかできないものっていう認識をどこかでしていて、すぐに成果になりそうな低難易度スコア詰めを優先していたんじゃないかなと思いますが、

 

これもまた、良くも悪くも今の自分を形成するに至るひとつの過程となってしまったんじゃないかなと思います。

 

そして、県内上位と呼ばれるスコア力を得た結果どうなったのか!?

それは次の記事へ!!