時間があるので自分語りシリーズ。
今や生活の一部で大きな趣味となった音ゲーですが、そもそもの事の始まりはなんなのかとか、音ゲーやる前どんなだったとか、そんな話を思い出しながら書いていこうと思います。
タイトルにもあります通り、僕は「太鼓の達人」というゲームに救われたと思っています。
もしあのゲームと出会ってなかったら今どんな生活をしているのか想像もできません。
太鼓の達人を知ったのが高校一年の秋くらいの時だったのですが、それまでの僕は本当に絵に書いたかのような陰キャのテンプレかのような存在でした。
中二から人権をなくし、想像するに容易い陰湿ないじめはもとより、絶え間ない陰口や直接行為などの所謂テンプレのようないじめの標的となっていました。
まともに人と会話出来ず声も出せず、カースト上位に罵られるだけの陰キャ無趣味男。
いや、趣味はあったんですけどそれを共有できる人が皆無だったと思います。
高校に入ってもそれは続き、高一の自己紹介で陰キャ特有のクソキモ自己紹介で大爆死してしまったことにより、自動的にカーストエレベーターは最下層で固定されその場で故障したまま何の修繕もされないまま一年間を過ごすことになる。
そんなテンプレいじめられ陰キャに転機が訪れたのが高一の文化祭でした。
先輩のクラスがクラス展示でゲーセンさながらのクソデカタタコン(=ゲーセンみたいな太鼓のコントローラー)を自作しており、とくに行き場のなかった僕はなんとなくそこで時間を潰していたのですが、
そこでプレイを始めた先輩が非常にうまく、教室が大いに盛り上がった。
そこまで「かんたん」や「ふつう」などが選ばれてばかりだったその教室で、たった一人「むずかしい」を選んだのはその先輩だけで、気がつけば教室内はギャラリーで埋め尽くされ、そこらじゅうから拍手喝采の大盛況となっていた。
普通なら「先輩すごかったな〜」で終わるとこなんですが、僕は多分あそこにいた人達の中で一番心を打たれていたんじゃないかなと思います。
早い話、先輩が羨ましくて仕方がなかったのです。
「俺もあんなふうになりたい!」
と心の底から思い、感動冷めぬままその日の帰りにゲーセンまで自転車を飛ばし、初めて筐体に100円をつっこみました。当時好きだった深夜アニメの曲を選んだような気がします。
この時のプレイが全ての始まりでした。
遊んだ後にずっと心臓が高鳴りっぱなしで、何かが込み上げてくるような燃え上がってくるようなよくわからん感じ。
今まで遊んだゲームの中で一番面白く感じた。こんなに面白いゲームがあったのかとずっと心臓が鳴り止まなかったのは今でも覚えています。
そこからはもうずっと太鼓漬けの日々でした。
暇さえあれば太鼓のことを考えてた...というか太鼓のことしか考えてなかったと思います。
絶対にうまくなりたいと思い、無我夢中で練習してたと思います。
たかだか高校生なので本当にお金がなくて、飲み物代と渡されてた金をケチって太鼓代に回したり、どうしても喉乾いた時は水道の水を飲んだり、指の豆を潰すまでやったり...とにかくとち狂ったかのように夢中になって取り組みました。
どんなバカでもこれだけ熱狂的にやればそれなりに上達するといったもので、高二の秋くらいにはそこそこ人に見せても恥ずかしくないくらいにはなり、(当時の基準で)ゲーセンでそこそこ目立つようになる。
目立つとはいってもまだ当時は今ほどプレイヤーが多くなくて、今よりももっと盗撮が横行していましたが、そんな最中に同じゲームをやってる全く知らない人達と交流をする機会も増えてきた。
やってるゲームは同じなので、多少喋りが壊滅してようが意思疎通はできる。消滅していたコミュニケーション能力が徐々に復活していくようでした。
それからもどんどん続けていくうちにさらに実力は上がっていき、高三になる頃には県内で(当時の)五本の指に入るくらいの腕前になっていました。
それからなんと、紆余曲折は省くのですが太鼓の達人がきっかけでローカル番組に出演することになり、その放送が校内に知れ渡ったことによりスクールカースト最下位から脱することができた。周囲からの評価がガラッと変わり、いつしかクラスの中心で何かをすることが出来るようになっていた。
太鼓の達人は色んなものを僕にくれたと思います。
今でも交流がある人達との出会いや、それによって社交性も得てコミュニケーション能力も得て。太鼓の達人をきっかけに他の音ゲーを知り、社交性を得てしまいには動画作りなんかも初めて...と、今の行動基盤の根底にはこの太鼓の達人が大きく関わっているんだろうなと思います。
もし太鼓の達人を知ることがなかったら今どんな事をしていたのか想像も出来ませんが、きっとろくでもない生活をしていたことでしょう。こんな記事は絶対に書かれてないし、こんなブログが存在していたかも怪しいし、IIDXもやってなかったと思います。
今は太鼓の達人からは離れてしまいましたし、当時ほどの熱狂的なやる気が再燃することは無い思いますが、僕は間違いなく太鼓の達人に救われましたし、その感謝は忘れずにいきたいものと思います。
おわり。